謝罪からの解放
内容
今日は、日本が第二次世界大戦で敗北した日。一方でそれは、日本が植民地支配したアジア諸国が、解放された日です。様々な民族的感情が交錯するこの日を前にして、韓国の大統領はいわゆる「竹島」を訪問したり、さらには天皇に明確な「謝罪」を要求したりと、自国の民族感情を煽るような政治的パフォーマンスを行いました。
こうした行為に怒り心頭の日本人もいるようですが、同じようなパフォーマンスは、例えば東京都知事の石原慎太郎が、いわゆる「尖閣諸島」の土地買い上げ騒動を起こしているように、そして今日も靖国神社へ参拝する政治家連中がいるように、日本でも繰り返し行われてきました。
民族や国家に拘わる歴史観や領土問題を利用した扇動は、それによって世界では今も戦争が絶えないというのに、未だに政治の常套手段として利用されています。そんな愚かな手口に引っかからないようにすることは、振り込め詐欺に遭わないように注意を怠らないことと同じような問題なのですが、振り込め詐欺がそうであるように、ちょっと油断すると、だまされてしまいます。
では、こうした扇動を、くだらないこととして無視していればよいでしょうか? 例えば、天皇が韓国の人々に謝罪するかどうかは、どうでもよいこととして、ほっておけばよいのでしょうか。戦前の日本が朝鮮半島を植民地支配したことに対し、戦後生まれの私自身は、まったく関わっていません。現天皇も、その時代には皇太子であり、当時の国家や軍隊を指揮していたわけではありませんから、彼にも関わりのないことです。直接犯罪に手を染めていない、という点では、私も彼も同等です。
ただし、私は自身の意思とは無関係に、日本で生まれたことにより、私は「日本国民」であり、「日本人」です。この国民や民族は、現在の日本国家と繋がるものです。では、この国家は、朝鮮半島を支配した戦前の国家と、全く無関係でしょうか? 形式的には、戦前の専制的国家は1945年に崩壊し、アメリカ軍による占領統治の下で、新しい民主主義国家に生まれ変わったことになっています。憲法も、新しくなりました。
しかし、この新国家は、以前の国家との断絶をほんとうに果たしたのでしょうか。たとえば、日本の「建国」記念日は、8月15日ではないとしても、論理的には新憲法によって旧国家が刷新された時なのではないでしょうか。しかし、旧国家との連続性を確認するかのように、新国家の始まりも未だに2月11日とされています。これは、近代的な「国民国家」として日本を捉えているのではなく、神話的な民族観によって今も「日本」を粉飾していることの、ひとつの表れでしょう。また、この民族神話の象徴として、天皇が大きな役割を担っています。
もちろん、そんな神話的民族観は、江戸時代末期に醸成され、戦前の国家が意図的に体制化したものであり、伝統といってもせいぜい150年程度の、底の浅いものです。それでも、まるで振り込め詐欺の騙し文句のように、人々はその言葉を信じてしまう時があります。まあ、信じるかどうかは個人の心の自由に関わることなのですが、戦前の国家との連続性を「伝統」に則って今の国家にも認めるなら、過去の責任を今も負わなければなりません。神話的な美しい話ばかりを受け継ぐだけで、悪事には目をつむるというのでは、日本的美意識とされる「恥」の伝統が泣きます。つまり、連続性を後生大事に守り続ける、いわゆる保守や右翼の連中こそが、戦前の国家が犯したすべての罪を背負って、謝り続けるべきなのです。では、天皇はどうでしょうか。天皇家が日本の歴史の連続性を象徴するなら、その職を世襲する限り、天皇になる者も旧国家の責任を負って謝り続けるべきでしょう。
そして最後は、私たちです。私たちが、国家や民族といった枠組みの中に自分の存在を見出すなら、旧国家との腐れ縁を切ることはできないでしょう。そうであるなら、過去のあらゆる過ちを、永久に謝罪して生きていかなければなりません。それは、日本だからではなく、欧米諸国でも、中国でも、韓国でも、世界中のどこでも、民族や国家の神聖さを騙って戦争や搾取を繰り返してきた、あらゆる支配体制に着いて回る、謝罪です。
私たちが、民族や国家という狭い囲いの中から、なんとか民族でも、なんとか人でもなく、その人自身として飛び出すなら、私たちは過去の呪縛から自由になることができます。その先には、当面、「人類」という枠組みぐらいしかないでしょう。もちろん、そのためには、過去に縛り付けられた現在を、もしくは過去と繋がろうとする現在を、解放しなければなりませんが。
私の音楽的趣味とはちょっと違いがありますが、ジョン・レノンの「イマジン」も、そうした解放を歌っていたと思います。たぶん、今でも多くのレノン ファンが日本にいると思いますが、そんな人たちでも、先ごろまで行われていたオリンピックで、表彰台に「日の丸」だの「君が代」だのが現れると民族や国家に引き戻されてしまうところが、この問題が振り込め詐欺と同じか、より深刻であることの表れかもしれません。