ハナちゃんの足跡

~最愛の友だちを記念して~

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ハナちゃんの在りし日の姿 小太郎と小次郎 過去の日誌
ハナちゃん 小太郎 小次郎

美しの五月に

2002年5月21日早朝、ハナちゃんは交通事故で亡くなりました。享年は、3歳ぐらいのはずです。

ハナちゃんは朝4時ごろ散歩に出かけ、7時前になっても帰ってきませんでした。講師をしている職業訓練校の講義がある火曜日ですから、近所に探しに出かけました。浦和橋の横から17号国道へ抜ける、やや車通りの多い道を少し歩くと、ビルを解体した空き地前の路肩に、白黒の毛皮がうずくまっているのが見えました。まさか、とおもいつつ近づいてみると、それはハナちゃんの哀れな姿でした。

生前の姿形はとどめていたものの、口や耳から血があふれ、目は開いたままでした。赤い首輪をしていなかったとしても、ハナちゃんだとわかります。横たわっていた体の地面の側は、血糊で砂利がこびりついていました。もう、息はありません。

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葬儀

亡骸を家に運び、毛皮の砂利を取り除き、顔の血は拭いてあげました。それでも、無残な姿はどうしようもありません。こんな姿は早く終わらせてあげたい。ハナちゃんのために、僕自身のためにも。そしてペットの葬儀屋さんに電話をかけました。すぐ来てくれるところに。葬儀屋さんが来るまでの小1時間、打ちのめされたような気分と、もうハナちゃんのすべてを失ってしまったことへの悔しさ、さびしさから、涙が溢れ出しました。

学校は休み、足立区の葬儀屋まで1時間ほど車に揺られ、時折、冷たくなったハナちゃんを撫でました。涙が、再びこみ上げてきました。人間とは違って味気のない火葬でしたが、骨になったハナちゃんは骨壷に納められ、僕と一緒に電車で家へ帰ってきました。ハナちゃんは、あまり大きな体格ではなかったけれど、骨壷はもっと小さくなってしまいました。家に帰る前に、かかりつけの獣医さんのところへ挨拶に伺いました。初めの言葉が、自分でも何を言っているのかわからないほど震えていました。

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出会い

ハナちゃんとは、もっと長く、一緒に過ごせると思っていたのですが、突然のお別れでした。1999年の晩秋から、3年にも満たない間でしたが、ハナちゃんは僕の娘も同然でした。人見知りのはげしい、子供の野良猫だったハナちゃん。餌を求めて、家の前のゴミ捨て場に流れてきました。ゴミをあらされる前に、餌でつろうと僕は考えました。でも、警戒心から、人が見ていないときにしか餌を食べないハナちゃん。それでも、徐々に近くに姿を現すようになって来ました。そこにもう一匹の猫、力太郎が登場し、最初はハナちゃんを追い払っていたものの、いつの間にかハナちゃんは力太郎と一緒なら、家に入ってくるようになりました。

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ともに暮らした日々

風来坊の力太郎はその後一時姿を消し、ハナちゃんだけが家に残りました。それでも、ドアを閉めると外へ出せと怒ります。真冬でもドアを半開きにしていたのは、今となってはおかしな想い出です。2001年、21世紀の幕開けとなる年末年始に、やっとハナちゃんは家に泊まるようになりました。それまでは、家では数時間休憩するだけでした。そして、ロフトで寝ている僕の隣が、いつしかハナちゃんのお気に入りの場所になりました。

僕の家に寝泊りするようになってから、やっと1年少しというところでした。幸せは、長続きしないようです。それでも、世界中で僕だけに懐いていた、人間嫌いのハナちゃん。一歩家から出ると、僕が近づいても逃げてしまいます。けれども、僕の後について、びくびくしながら帰ってくるハナちゃん。そして、家の中では甘えん坊のハナちゃん。家に帰ってきたとき、僕がロフトにいて姿が見えないと、「ニャーン」と甘酸っぱく呼びかけてきました。

最期は、哀れな別れ方になってしまったけれど、ハナちゃんの仕草、鳴き声、毛並みの柔らかさ、温もりを、僕の一生の思い出として、心に焼き付けておきます。ひざの上に上がって昼寝をしたハナちゃん。パソコンのディスプレイの上で寝ていると、危ないのでよく追い立てました。ハナちゃんとは鼻と鼻をくっつけて、よく挨拶をしました。

ハナちゃんの初めての鳴き声は、ひび割れたような「音」で、子猫とは思えないようなものでした。それが、夜な夜な外へ出せと、普通の甘え声を出せるようになったハナちゃん。机の上のペン立てやCD-ROMを床に落として、僕を起こそうとしました。雨の日でも外へ出かけ、泥だらけの足で帰ってくるハナちゃん。肉球を拭こうとすると、フッーといって怒ります。目と目の間を撫でると、気持ちよさそうにしていたハナちゃん。ハナちゃんの毛皮は、頭から尻尾の先まで、どこも柔らかかった。ハナちゃんを撫でているときが、僕には至福の時間でした。でも、あまり撫で回されると尻尾を振って抗議するハナちゃん。

そんなわがまま気分にも、目を細めて気持ちよさそうにしていた姿にも、もう会えません。僕の隣で丸くなったり、足を組んだり伸ばしたり、無造作な姿で安心しきって寝ていたハナちゃん。君は幸せだっただろうか? 僕は君を幸せにできただろうか? 僕だけひとり、不幸の中にとり残されてしまいました。月並みですが、小さな物音がすると、ハナちゃんではとありもしない想像をしてしまいます。振り向くと、そこにハナちゃんの姿が焼きついています。

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覚めることのできない夢

ハナちゃんと別れる夢は何度か見ましたが、いつもこれは夢だ、目を覚ませば済むことだと、最後には気づいていました。しかし、今日は、夢ではありませんでした。ハナちゃんの死という「現実」から、目を覚ますことはできません。もう、ハナちゃんが食べることのないカリカリ餌と、もう使うことのない猫トイレが、残ってしまいました。今日はまだ、ハナちゃんの血のにおいが残っています。しかしそれも、ほこりの上につけた足跡や、床の隅に積もったハナちゃんの抜け毛と一緒に、時とともに消えていくでしょう。

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さようなら、ハナちゃん

結局、僕に残されているのは、デジタルカメラで撮影した、数百枚の写真です。このサイトでは、ハナちゃんという一匹の猫が、浦和の片隅で生きていたことの証しとして、ハナちゃんの生前の姿を写した写真を、スライドショーとして掲載します。もし、ハナちゃんという存在に少しでも心を惹かれた方は、ご覧になってみてください。それが、ハナちゃんのせめてもの存在証明であり、墓標となるでしょう。

そして、これらの写真は、時がたっても色褪せないでしょう。もちろん、僕が、ハナちゃんの思い出を心にとどめておく限り。

さようなら、ハナちゃん。僕と過ごした日々が、ハナちゃんにとって幸せであったと信じます。

2002年5月21日
世界で一番可愛い猫、ハナちゃんの、世界で唯一の友人として
黒住浩司

出会った頃のハナちゃん

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