そして、六年の歳月が過ぎた。今年も、昨年同様、六年前のあの日と同じように、初夏の日差しが眩しい一日だった。早朝、小太郎に起こされ、七時ぐらいに自転車で北浦和駅前へ出かけた。あれから、多くのものが変わったというのに、ハナちゃんと一緒に暮らしたアパートは、当時とほとんど変わらない。その路地の一角だけが、同じ姿をとどめている。
その部屋で、かつてハナちゃんは、のんびり眠ったり、じゃれたり、怒ったり、びくびくしたり、いろいろな姿を見せてくれた。それは、多くの写真として残っている。今、同じように、小太郎や小次郎の姿も、カメラのレンズを通して、記録され続けている。
しかし、同じ写真といっても、大きく変わったものもある。ハナちゃんが生きていたころは、200万画素のデジタルコンパクトカメラを使っていた。今は、画像は1000万画素になり、カメラもデジタル一眼レフになった。幸せなことに、小太郎や小次郎は、より鮮明に、その姿を画像としてとどめておくことができるわけだ。
まあ、技術は、飽くなき進歩を続ける。10年後には、小太郎と小次郎の上の写真も、技術的には古びたものになってしまうのだろう。この六年間で、多くのものが変わったように。
北浦和駅前の街並みも、ところどころが、姿を変えた。三日前には、浦和駅の京浜東北線のホームが、完全に高架になった。ハナちゃんと出会うずっと前から、中学生のころから慣れ親しんでいた、あの古いホームには、もう入れない。早晩、姿を消すだろう。浦和駅西口は、再開発が進み、パルコが建った。未だに、足を踏み入れたことはないが。今日の朝は、このパルコの裏を素通りして、東浦和方面まで進み、そこから見沼代用水西縁沿いに自転車で走り抜けて、帰宅した。見沼でも、斜面林が減っている。
そうした大きな変化に比べれば、まだ、北浦和周辺は、変化が小さいということだろうか。大きなものほど、ダイナミックに変貌し、小さなものは、侘しくともその姿を残す。常盤九丁目の路地が、ほとんど変化を見せないように。
そして、”技術的”には古びていくハナちゃんの写真も、小さな小さな一角ではあっても、不変の姿をそこにとどめている。