ハナちゃんの足跡

~最愛の友だちを記念して~


さようなら、ハナちゃん ハナちゃんの在りし日の姿 小太郎と小次郎 過去の日誌
ハナちゃん 小太郎 小次郎

2007年5月21日(月)

初夏の日差しは、5年前を偲ばせるものだった。汗ばむような陽気だった5年前のあの日より、少しは五月らしい清々しさが、今日の風の中を漂っていたかもしれない。あの日と同じように、今日も訓練校での講義の仕事があった。そして、今日はその仕事のために、北浦和駅を通って都内へ出かけた。

家を出たのは、普段よりも30分、早かった。その足で、北浦和駅西口に立ち寄り、常盤9丁目に向かった。ちょうど、昼前。あの日、足立区のペット葬儀場からこの街に帰ってきたのも、だいたい同じ時刻だ。5年前に立ち寄った、かかりつけの動物病院は、もうそこにはない。あの事故現場も、小さなマンションが建ち、僕の目に焼き付いている光景は、消え去った。けれども、常盤9丁目の、あの家並みだけは、5年前と同じだ。

その後、僕は原山に引っ越し、それから現在は領家に移った。3年ほど住んだ原山のマンションは、先日立ち寄ってみると、完全な更地になっていた。常盤9丁目の、たいしたことのないあのアパートが、今もそのままの姿だというのに、鉄筋コンクリートのマンションのほうが、それよりもずっと早く、姿を消してしまった。不思議なものだ。

その3年間には、たいした思い出もない。それを象徴するかのように、父は今年の正月に死んだ。その時、半年ぶりぐらいで母に会ったが、認知症が進み、もう僕のことを覚えていなかった。「家族」という、ほとんどしがらみにしかすぎないものは、霞のように消え去ったわけだ。夢現のように。

それとは反対に、12年前に暮らし始めた、常盤9丁目の想い出は、ハナちゃんという永遠の存在に支えられて、あの場所で、そして傍らにいる猫たちとともに、今も息づいている。初めてハナちゃんと出会った、1999年。それからの日々をともに過した人や出来事は、楽しかったことや辛い思い出も含めて、なんだか懐かしい。そのハイライトが、ハナちゃんとともに過した、3年にも満たない日々だった。

今、僕の傍らでは、大きくてふわふわの小太郎が、丸くなって居眠りしている。常盤9丁目の部屋と同じように、今の場所にも小さなロフトがあるけれど、そこでは、今年から友達として加わった小次郎が、手足を伸ばして眠っている。小次郎は、名前のとおり雄猫だけれど、ハナちゃんと同じぐらいの体格だろうか。まだまだ子供で、小太郎を追いかけまわして顰蹙を買っている。そのせいか、やや気の荒くなった小太郎に、一昨日、僕は顔を引っ掻かれてしまった。たしか、ハナちゃんの顔に不用意に顔を近づけたとき、同じように引っ掻かれた覚えがある。そんなことも、あったのだ。

これから、また5年も経つと、小太郎はもう初老の域に達するのだろう。小次郎はその頃、今の小太郎のように、落ち着いた大人になっているかもしれない。いずれにしても、ハナちゃんはそこまで生きなかった。ゆっくりと、長く、経過していく時とともに、一瞬の輝きのような日々も、結局は短い人生の中に、しっかりと織り込まれていくのだ。

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