ハナちゃんの足跡

~最愛の友だちを記念して~


さようなら、ハナちゃん ハナちゃんの在りし日の姿 小太郎と小次郎 過去の日誌
ハナちゃん 小太郎 小次郎

2006年5月21日(日)

今日は、四年前のあの日によく似ている。晩春と言うよりも、初夏という言葉がぴったり合う、眩い陽射し。それとは正反対の、暗鬱たる気持ちで、午前中のうちに足立区の火葬場まで出かけ、そして電車で北浦和に帰ってきた、四年前。どれほど僕の心が暗くても、駅前の光景は五月の明るさで覆い尽くされていた。ワールドカップ前夜の喧騒が街に溢れていることも、あの時を髣髴とさせる。

そんな、特別な一日。ここ数日の悪天候で洗濯を差し控えていたカーペットを、全自動洗濯機に投げ込み、“犬の額”のような狭いベランダで、小太郎と遊ぶ。旧友からもらったベンチに腰掛け、小太郎を膝に乗せて日向ぼっこ、といきたいところなのだが、小太郎は大人しくしてくれない。コンクリートの上で転げまわり、純白の毛皮を汚してしまう。夏を前に、毛が抜け替わる時期なので、ブラッシングをしてタオルで拭いてあげる。

それから、僕は北浦和へ出かけた。そう、北浦和は再び僕の街になった。駅までは徒歩15分。これは、四年前とは異なるが、猫と二人暮らしであることに違いは無い。北浦和駅南寄の地下道を通って、西口へ抜ける。そこは、かつての生活圏だ。マンションの脇を抜けると、交差点の右手に、あの事故現場がある。そこは一瞥し、真っ直ぐ進んで、ハナちゃんと暮らしていた場所に出る。初めての出会いのゴミ捨て場も、アパートや家並みも、あの頃とほとんど変わらない。隣家の庭先から、ハナちゃんが顔を出してもよさそうなものだ。今日、小太郎がやっていたようにハナちゃんも、そこら辺のコンクリートの上で、転げまわって毛づくろいをしていた。

四年前と同じ陽射しの下、この場所に立つと、「あの頃に帰りたい」という儚い望みが脳裏をかすめる。けれども、一寸あとに、僕はもう、その後の四年間を既に捨て去ることができない立場であることに気づく。その後の四年間、そしてこれからも、僕は小太郎と生きていくことを選んだのだから。過去へ戻ることなど、もともと無理な話なのだが、たとえそれが可能になったとしても、僕はその道を選ぶことはないだろう。四年間で、人間世界に起きたことは、ほとんどどうでもよいことだ。しかし、小太郎との暮らしは、何ものにも変えがたい。それは、ハナちゃんが僕に与えてくれた、次の可能性なのだから。

あの頃とは景色が変わってしまった事故現場の前へ足を進め、胸に手を当てる。そこから、以前と同じように北浦和公園へ向かい、近代美術館で常設展を観た。四年前、それ以前、よくこの美術館で出会った絵が飾られている。そのあと、公園のベンチで、半時ぐらい噴水を眺めた。以前は、この公園まで歩いて三分もかからなかったので、ハナちゃんは家において、僕はベンチで日向ぼっこをしていた。家に帰ると、入れ替わりにハナちゃんが散歩に出かける。そんなことが、あった。公園を出た後は、商店街を抜けてサティへ。このビルの1階にあるペットショップで、ハナちゃんのために買い物をしていた。今日は、小太郎のために、猫の玩具をひとつだけ飼った。

そして、やや遠回りをして県庁地方庁舎の脇を通り、線路にかかる歩道橋を渡る。ほんとうは、もうひとつ駅よりの歩道橋から、北浦和の街を眺めたかったのだが、既にその歩道橋は撤去され、地下道になってしまった。遠くなった歩道橋からでは、四年前以前によく見ていた光景が、縮んでしまう。「この街で、ハナちゃんと暮らしているんだな」という感慨が、それなりに小さく遠く、過去のものになっていく。

世界一可愛い猫、ハナちゃん。あとは、酒でも飲みながら、喪に服そう。小太郎にも、ご馳走を買ってきた。

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