今日は、ハナちゃんと出会った記念日。もう、6年も前の出来事だ。6年前の今日も、こんなうす曇の天気だったような気がする。でも、もっと寒かっただろうか。
色々と過去を振り返るとき、何かに所属していた期間を物差しにして、僕はその長さを比較していた。かつては、僕にとって小学校の5年間(六年生のときに転校)が、最も長い物差しだった。その後、自動車工場で働いた5年間、職業訓練校の講師になって5年半と、ほぼ5年という期間が、ひとつの目安になっている。フリーのデザイナーとして独立してからは10年になるが、これが最も長い物差しだ。
それらと比べると、ハナちゃんとの出会いからも、ずいぶんと遠くまで来てしまった感じがする。しかし、たとえば自動車工場での5年間は、仕事がきつかったこともあり、非常に時間がゆっくり経過していたようだ。あんなどうしようもないところで、長く過ごしすぎた気がする。小学校の5年間は、楽しい思い出のほうが多いが、一年生から五年生になるまでの時間は、「歳月」と呼べるぐらい、永遠に近い感覚のものだった。
ところがハナちゃんとの出会いは、物理的にはより長い時間の経過があるにもかかわらず、つい昨日のことのような気がする。今日も、北浦和の想い出の場所を自転車で散策したが、そこかしこに少しずつ変化があり、6年が確かに過ぎていることを街並みが証明している。それでも、ハナちゃんを初めて見つけたゴミ捨て場は、何も変わらずにそこにある。近所の猫たちの顔ぶれはかわっているようだが、やはり猫たちの暮らしがある。消えてしまったのは、ハナちゃんと、僕だけだが、そんな空白を埋めることもなく、その場所には6年前との連続性が存在している。
今日は自転車で出かける前に、小太郎に年に1度の予防接種をしてもらった。動物病院で体重を量ったら、6.8キロにもなっていて、「もう小太郎じゃないね」と獣医さんにからかわれてしまった。小太郎は、少し過保護に育ててしまったようだ。外を出歩いていたハナちゃんは、太ることはなかった。それとも、もっと永く一緒に暮らしていたら、ハナちゃんにも貫禄が付いただろうか。もう、考えても仕方のないことだ。小太郎とは、ハナちゃんとのような別れ方はしたくない。
6年前、小さな白黒の子猫だったハナちゃん。君は、どこから来たのだろう? 僕のところへ来てくれて、ありがとう。