昨 日の帰りがけ。近くの中学校の横で、子猫に出会った。まだ小さな子供の、黒猫だった。親からはぐれたのだろうか? きょとんと、僕を見上げていた。
この子を連れて帰ったら、小太郎はどうするだろう? その場の感情で、すべての捨て猫や迷い猫の面倒を見ていたら、どうなるだろう? 僕にはそんな力はない。やはり、小太郎の幸せを第一に考えなければ、などと、ほんとうに必要なのかもわからない勝手な想像をめぐらせて、僕は振り切るように家路を急いだ。白猫の小太郎と、黒猫。ハナちゃんは白黒模様だったな、なんてことも思い浮かんだ。
今日は休みの日だが、少し早めに起きて小太郎に餌を与え、自転車で北浦和に向かった。途中、遠回りにはなるけれど、昨日の猫を見かけた場所にも寄ってみた。もう、その猫の姿かたちは見当たらなかった。北浦和では、ハナちゃんの事故現場に少しの間、佇んで、三年前を思い返していた。そして、常盤九丁目や北浦和公園、駅前といった想い出の地を、少しの間、走り回っていた。
すると、常盤九丁目でも、また新顔の猫に出会った。やはり子猫で、毛艶が悪く、痩せていた。病気なのかもしれない。けれども、「元気になれよ」、ぐらいの声しかかけられなかった。
北浦和から、以前はよく歩いた浦和までの道のりを自転車で走り抜け、調神社の脇を通り、浦和一女高校の裏にある神明神社に立ち寄ってみようかと、なんとなく考えていた。けれども、一本道を間違えて、神明神社にはたどり着けなかった。まあ、それもいいさ、と先を進むと、前方にちょっとした木立が見える。そこには、「浦和探検隊」としての調査では見落とした、小さな稲荷神社があった。地図にも載っていない神社だ。
今日はハナちゃんの命日なので、ただ想い出のためだけに外へ出た。当然、探検装備のデジタルカメラは持っていなかった。神社の探検調査は、次の機会にしよう。今日は、未発見の神社をハナちゃんがまた教えてくれたことに、感謝しよう。
この神社を後にして、南浦和の先まで進み、あとは見沼代用水西縁に沿って遡上した。ハナちゃんが元気だった頃にも、よく友人と自転車で走り回った、見沼用水周遊コース。今日はひとりだが、通船堀、芝川、民家園、そして氷川女體神社を巡り、小太郎の待つ家に帰った。
家には、昼前に到着した。三年前は、今とは別の家に、たしか昼過ぎに帰ってきたはずだ。今日よりも、三年前のほうが、夏のような陽射しで暑かった。三年前の担当クラスでは、元気のよさが売り物の子供っぽい生徒と、ちょっと大人っぽく観察眼の鋭い理知的な生徒が、仲良くコンビを組んでいた。ちょうど今年も、そんな感じのするコンビが入ってきた。それらすべてが、単なる繰り返しではないところに、人生の楽しさもあるのかもしれない。
永遠のものと、移ろいやすいもの。来年の今日は、いったい、どんな気分になるのだろう。