ハナちゃんの足跡

~最愛の友だちを記念して~


さようなら、ハナちゃん ハナちゃんの在りし日の姿 小太郎と小次郎 過去の日誌
ハナちゃん 小太郎 小次郎

2004年5月21日(金)

ハナちゃんが死んでしまってから、二年が経過した。今日がハナちゃんの命日だとは知ることもなく、小太郎は元気に遊びまわっている。二年前の今日、ハナちゃんの死に直面し、僕は為す術を失った。二年後の今日は、台風の余波を受けた雨で幕を開けた。

ハナちゃんが車に撥ねられたのは、5時か6時ごろだろう。今日、その時間には、僕は出かける準備を整え、小太郎と朝のひと時を過ごしていた。二年前の今日は、火曜日で、講義のある日だった。そして、講義は休んだ。二年後の今日、僕の身の回りにも色々な変化が起き、講義は週三回に増えている。昨年から、金曜日にも講義がある。今年のハナちゃんの命日は、その金曜日に当たってしまった。

朝四時に小太郎に起こされ、僕は、学校へ行く準備をする。その間、命日のことは、当然、覚えていた。しかし、あの時間そのものは、忘れていた。ただ、起きて、小太郎に餌をあげ、シャワーを浴び、朝食のヨーグルトを食べ、歯を磨き、時間が来るまで小太郎の相手をしていた。出かけるときに、ハナちゃんの骨壷に、いつもより入念な挨拶をした。それは、普段の金曜日と、あまり変わらない日常だった。

今日は、台風で朝は悲惨な目に遭うだろうと覚悟していた。案の定、出かける直前に雨脚が強くなった。ハナちゃんの、涙だろうか。それとも、僕の涙だろうか。しかしそれも、小平の駅に付いた頃には上がっていた。今日は、授業だ。生徒の顔ぶれも、すでに二回、入れ替わっている。講義の間、ハナちゃんのことは忘れていた。昼休みも、生徒に質問されたり、午後の準備をしたりで、ハナちゃんを思い起こす時間がなかった。そして、午後四時半に授業が終わるまで、ハナちゃんよりも、生徒たちの理解度、課題の進捗状況に、気を取られていた。ほとんど一日、泣いていたあの日とは、大きく変わったものだ。

それでも、帰りがけに北浦和に立ち寄った。かつての生活拠点、想い出の地。そして、あの事故現場。さらに、北浦和公園や西口の商店街など、かつての散歩コースも歩いてみた。家の周りには、力太郎も、昔の馴染みの猫たちも、姿を見ることはできなかった。ラオックス北浦和店の隣には、もうすぐ線路を渡る地下道が完成する。しかし、そこにはもう歩道橋はない。あの橋の上から、北浦和を眺め、ここが僕とハナちゃんの街だと、感慨に耽ったこともある。六月には、歩道橋が撤去された跡に、地下道ができるらしい。街は、少しずつ変わっていく。

ラオックスを過ぎて、ひとつ与野駅よりの歩道橋を渡った。ここも、街を見下ろせる場所だ。しかし、かつての歩道橋より、街が遠く見える。想い出の地には、ハナちゃんは勿論、力太郎も、かつて見かけた猫たちも、もういなかった。それでも、歩道橋を渡ってからの東口の商店街では、何匹もの猫たちと出会った。彼らが、幸せであることを、僕は望む。

猫たちの世界がどうだったのかは、窺い知れないが、この二年間、人間の世界はくだらない出来事の連続だった。イラクでの戦争、北朝鮮の拉致問題。アメリカの“民主主義”はでまかせであることが、露骨に世界に示された。北朝鮮問題では、過去の植民地支配や戦争犯罪を帳消しにしようと、鬼の首でもとったかのように“拉致”が騒がれる。人の命が、あるところではごみ屑のように扱われ、あるところでは天より高く持ち上げられる。それは、いずれにしろ人命に重きなど置いていないことの、証左だ。人より重い、猫の命だってあるというのに。くだらない人類よりも、ハナちゃんの命は、どれだけ大きかったことか。それを奪った人間が、どこかで大手を振って生きている。そんなやつの“人命”など、羽毛より軽い。

ハナちゃんには、時々、たいていは出かけるときに、「小太郎のことをよろしく」といって声をかけている。おかげで、この二年間、小太郎はすくすくと、少々肥満気味に成長してくれた。小太郎も、もうすぐ二歳。立派な大人だ。ほんとうは、ハナちゃんの三年、四年後の姿を見たかった。しかし、ハナちゃんは、くだらいな人間たちとは違って、潔く小太郎に席を譲り、遠くへ旅立ってしまった。ハナちゃんのおかげで、小太郎が僕の前にいる。そのことをハナちゃんに感謝しながら、僕は小太郎を幸せにするために、生きていく。ハナちゃん、これからも、よろしく。

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