月曜日、テレビが壊れた。内部の電源スイッチが駄目になってしまったようで、カチカチとスイッチングを永遠に繰り返している。また余計な出費となるが、テレビを買い換えることにした。そして今日の朝、届けてもらい、壊れたテレビはリサイクル法に従い引き取られていった。
この3日間、TVキャプチャカードを使ってテレビはパソコンで観ていた。しかし、パソコンは起動に時間がかかる。リモコンのスイッチのONだけで点けられるテレビは、 無くなってみると非常に便利だった。そして僕自身、テレビ中毒とまではいかないまでも、日常の中で恒常的にブラウン管を眺めていたことに気づいた。テレビの無い生活は耐えられないほどではないけれど、ちょっと厄介だ。
壊れたテレビは、確か1995年頃に買ったと思う。当初は、テレビなど必要ないと思っていた。ニュースはラジオと新聞で十分だったのだが、仕事場でもレッズの試合中継を観たいとか、地下鉄サリン事件の後だったので、より視覚的かつ即時にニュースを知りたいとか、いくつか理屈を考えた末に、14型を買った。北浦和のラオックスから、段ボール箱を抱えて家まで7、8分の距離をのろのろと歩いて行った。
その後、CATVにも加入したので、観られるチャンネル数は格段に増えた。元々はNHKとTBSのニュースしか観ていなかったし、それらだけが目的だったのだが、おかげで海外ドラマや昔のドラマ、アニメなどがお気に入りになってしまった。地上波のバラエティ番組や現在のドラマは低俗なので、ほとんどチャンネルを合わせることはない。ニュースも、特にここ最近は「北朝鮮」関連の民放報道が、ほとんど“ワイドショー”化してしまっていて吐き気を催すので、NHKの大人しいニュースだけを信頼している。それでも、テレビは必要なのだろう。買い換えてしまったのだから。
生活の中にテレビが帰ってきてほっとした反面、ハナちゃんとの暮らしの中にあったものが消えてしまったことに、寂しさを感じる。ハナちゃんが現れた1999年から、死んでしまった2002年までの間、それは当たり前の光景として部屋の中にあった。新しいテレビの配達は、今日の午後と聞いていたのに、朝9時過ぎ、唐突にやってきてしまった。ほこりをかぶったままの壊れたテレビは、そそくさと運ばれていってしまった。小太郎が突然の闖入者に怯え震えていたため、彼をあやしてあげるのに手一杯で、“別れ”の余韻に浸る暇も無かった。
テレビを眺めながら、ふと「ここにハナちゃんが寝そべっていたよな」と思い巡らせる光景が、またひとつ減ってしまったのである。