21日の翌日に日記をつけることが多くなってしまった。「21日」が仕事の日だと、あまりコンピュータに向かい合いたくはない。学校での授業を、僕なりに熱心に行っているので、帰宅後には結構疲れてしまう。もちろん、以前よりも仕事に熱中している、というわけではない。基本的な姿勢は、過去も現在も同じだ。ということは、ハナちゃんの想い出に対する執着心が、そろそろ薄れてきたのかもしれない。
とはいえ、やはり「21日」には、必ず北浦和へ立ち寄る。昨日も、学校帰りは北浦和駅で電車を降り、西口の一帯をぐるりと周っていた。数日前に、ラジカセを左足の甲に落としてしまい、痣になっただけでなく、歩くと痛い。北浦和から家まではバスで帰ることにして、少し足を引き摺り気味に、駅前、事故現場、前の家、といった順に巡って行く。気温が、やや汗ばむくらいに高く、上着を脱いで長袖のシャツは腕まくりをした。こんな天候なら、猫たちがうろついているのでは、と期待したのだが、昨日は一匹にも会えなかった。
力太郎は、どうしているのだろう? ハナちゃんの生まれ変わりかとも思った、黒猫君も一向に姿を見せない。あまりにも差の激しい気候の変化に、野良猫たちはびっくり、どこかでじっとしているのだろうか。そして、北浦和の猫たちに思いを馳せながらも、街のあちらこちらに、在りし日のハナちゃんの姿を僕は投影していた。
家に帰ると、もう玄関のドアを開けた時点で、僕の部屋の扉の向こうから、小太郎の呼び声がする。ノブを回しそっとドアを引くと、その隙間を小太郎が頭でこじ開けようと力んでいる。暗がりの中で寝転び、頭を僕の足にこすり付ける小太郎。間違って踏んだりしないように気をつけながら、僕は部屋に入り明かりを点ける。少しの間、小太郎の好きなようにさせておいてから、屈み込んで「ただいま」の挨拶をしてあげる。これは、帰宅時の恒例行事だ。
今、この白くてふわふわの小太郎が甘えてくれるおかげで、以前の恒例行事は、さほど思い出さずに済んでいる。二年前であれば、僕の帰りをドア越しに待ち受けているハナちゃんがいた。閉じ込められているのが不満で、ドアが開くと、外に向かって駆け出してしまう。しかし、すぐさま帰ってきて喜ぶハナちゃん。それは小太郎ほど大げさな仕草ではなかったけれど、愛情あふれるものだった。ハナちゃんが外に出ていたときは、必ず距離を置きながらも、ニャアと小さく鳴いて、僕の後ろにとことこ付いて来た。そんな姿の記憶も、現在の「日常」の中に埋もれて、しだいにあやふやになっていく。
小太郎と、遊んだり格闘したり眠ったり、ほのぼの過ごす日々。その繰り返しの中に、「21日」は、これからどのように織り込まれていくのだろうか?