今日、1年クラスを受け持っているほうの訓練校へ出勤すると、生徒は一人だけだった。就職へ向けた合同面接会に、ほとんど全員が出払ってしまったのだ。そして、授業も午前中で打ち切り。午後の明るい日差しの中で、帰宅の途についた。昼下がりは、まだ真夏のように太陽が輝いているが、空は蒼く高く澄み渡り、風も秋の匂いを涼しく運んでくれる。何よりもすばらしいのは、この時間帯には人が少ないということだ。電車の中も、がらがら。路を歩く人影もまばらだ。この、ちょっとした“休日”に、北浦和の美術館へ立ち寄ることにした。
ふだんは100円の券を買って「常設展」だけを観るところだが、企画展が面白そうだったので、その10倍の金額を支払ってみることにした。タイトルは『フェアリー・テイル 妖精たちの物語』。妖精を題材にした、19世紀の絵画などの展覧会だった。狛犬を探求したことはあっても、僕は妖精画の研究家ではないので、この手の分野については疎い。しかし、「誰がコックロビンを殺したか」というテーマや、フィッツジェラルドなんていう画家の名前は頭の片隅に残っていて、確かに彼の作品は色彩的に美しかった。また、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」にまつわる絵もあった。シェイクスピアにもとんと縁はないが、ストラングラーズに同じタイトルの曲があり、僕はその格調高い旋律が好きだ。あの音楽、そして文学と絵画を一本の線で結んだ世界が、ここにはあるのかも知れない。
ほかにも、メアリ・B・スワンという画家の「
まあ、僕がそんな邪念を抱くだけのことはあるようで、ふだん、この美術館では見かけないタイプの客層が、幾人も来ていた。端的に言うと、“オタク”っぽい青年・中年男性だ。「妖精」というテーマの甘い香りは、たくさんの虫たちを呼び寄せてしまうようだ。展示されていた解説板にも書かれてあった。ヴィクトリア朝時代は絵画であってもヌードは禁止されていたが、裸婦に羽を付けて妖精にしてしまえば許されたそうな。当時の妖精は、風俗画でもあったらしい。どうりで、といったところだろう。しかし、裸より、瞳の美しさに開眼してもらいたいものだ。
異色の展示としては、妖精の姿を撮影したとされる「コティングリー妖精事件」の写真が掲示されていた。この写真の真贋は別として、僕は、僕自身の妖精体験を想い出し、うれしくなった。高校時代、友人たちと勝手に「心霊研究会」をでっち上げ、その最初の実験が「妖精研究」だった。つのだじろうの怪奇漫画に載っていた手法に従い、校庭の大木の前に砂で円錐台を作り、鏡を埋めた。この台の上で、妖精が踊るらしい。翌日、調べてみると、砂の上に小さな足跡が残されていた。猫の足跡じゃないか――という話もあったが、僕らは満足だった。
今、あの研究結果を再考してみても、正体が猫か妖精なら、どちらでも良いではないか。僕の妖精は、ハナちゃんとして、目の前に現れたのだから。そして、あの可愛い妖精は、また幻になってしまった。