ハナちゃんの足跡

~最愛の友だちを記念して~


さようなら、ハナちゃん ハナちゃんの在りし日の姿 小太郎と小次郎 過去の日誌
ハナちゃん 小太郎 小次郎

2003年3月17日(月)

ハナちゃんが死ぬ前に、アメリカでのテロ事件があった。その頃から、アメリカ国家というならず者がイラクに対し「戦争」という国家テロを仕掛けると言われてきた。ハナちゃんが死んでもうすぐ1年になろうとしている今、この懸念は現実になろうとしている。

歴史的事実として僕は、アメリカ国家のヴェトナムに対する残忍なテロ行為や、キューバに対する執拗なテロ行為も知っている。80年代、リビアやグレナダへのテロ攻撃もニュースで見てきた。そして湾岸戦争のときは幾度となく街頭に出て反戦と反米を叫んだ。

世界中のニュースをそれなりに知ることができ、自由に意見を表明したり行動したりすることは、イラクや北朝鮮のような独裁国家の下ではできないことであり、そこに民主主義の優位性と独裁国家に対する戦争の正当性を求める意見もある。しかし、世界最大の民主主義国家が、その国内でどれほど反戦の世論が起きようとも、世界最大の軍事力を振り回して自身の国益を弱者や敵対者に押し付けようとする。

アメリカに倣って民主国家を自任する日本政府も、アメリカ国家を後押しするだけで、その国家テロリズムを容認している。ということは、実は民主主義国家こそ悪質なテロリストであって、そうした国家の方が世界にとって危険極まりないのではないだろうか。北朝鮮の拉致というテロリズムの被害者家族が、アメリカのテロリズムにすがって北朝鮮に脅しをかけようとする持って行き場の無い状況が、民主主義の皮肉な現実を炙り出す。

ハナちゃんが死んでから起きたこと。それらは僕に怒りの気持ちを沸き起こさせる。しかし、ハナちゃんの死という現実の方が、人間界のどうしようもない事態より僕には重くのしかかる。日本でもテロが起き、その爆弾にでも吹き飛ばされれば、僕の目は覚めるだろうか? 世界が僕とハナちゃんだけで構成されていたなら、平和は現実のものになっただろう。しかし、それは夢だ。

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