昨年末に、ある人物がこの世を去った。The Clashのリードボーカルだったジョー・ストラマーだ。死亡した日から数日後に、友人からのメールで知らされた。
かつて、ジョーという存在は僕の中で大きな位置を占めていた。結成時や1977年のパンク・ムーブメント真っ盛りの時期には間に合わなかったけれど、1980年の年末かその翌年の初めごろ、僕はThe Clashのアルバム『白い暴動』を買った。自分で買った、初めてのレコードだった。日付は失念したが、その日のことは今でも覚えている。僕は高校生だった。ちなみに、初めての給料で買ったアルバムも、The Clashの『サンディニスタ』だ。
初期のアルバムではThe Clashの影響を色濃く感じる日本のバンド、The Blue Heartsの「旅人」という後年の曲に、“爆発寸前の火薬のようなレコード”という表現がある。他人の言い回しを借りるのは恐縮だが、僕は「旅人」を聴いたとき、そんなレコードとして『白い暴動』を思い浮かべた。そして、僕にとってのThe Clashとは、ミック・ジョーンズやポール・シムノンではなく、ジョー・ストラマーだった。「1977年にはエルビスもビートルズもストーンズもいらない」という詩を真に受けて、僕はこうした連中の音楽は聴くのをやめた。
民主主義的な社会主義を夢想し、マルビナス(フォークランド)紛争の際は反戦の立場を取って傷つき、アメリカでレコードが売れると裏切り者と叩かれる。変化し続けることがパンクだと主張し、敗れるようにThe Clashを解散させてしまったジョー。僕にとって、彼はもっとも共感できる音楽家だった。しかし、The Clashが表舞台から消え、湾岸戦争の頃には何の発言も聞こえず、そして僕自身が音楽そのものをあまり聴かなくなってしまい、すべては後景に追いやられて輝きを失った。今年に入ってから彼の追悼番組を観るまで、それほど大きな感慨を彼の死からは受けなかった。
CATVの音楽専門局で、ジョーのThe Clash時代や最近の映像に接し、二十年と少し前の時代が脳裏に甦った。そこから、僕はある一人の人間の死を実感した。ハナちゃんを失ったときとは比べものにならないけれど 、「死」を目前にして僕はやはり厳粛な気持ちになっている。