ハナちゃんが死んでしまってから、5ヶ月が経った。5ヶ月前と大きく変わったことはなんだろうか? 5月はまだJ1リーグがファーストステージで、浦和レッズの調子はそれほど良くはなかった。6月のワールドカップを前に既に中断期間に入っていたが、リーグ戦よりもナビスコ杯予選突破の余韻に浸っていた頃だったかもしれない。
そしてハナちゃんの死に直面し、レッズのことも一時は頭の中から消し飛んでしまっていた。もともとワールドカップや日本代表には興味がなかったので、6月の喧騒は耳を掠めもしなかった。ちょうど、レッズのことを気にかけなくてもよかったとき、僕はハナちゃんの想い出だけを追いかけていればよかった。
今、レッズは絶好調で、セカンドステージは負けなしだ。「優勝」の2文字が、リーグ戦とカップ戦の両方でちらついている。僕の傍らでは、ハナちゃんの代わりに小太郎が寝そべっている。色々な意味で、光が射してきたのかもしれない。4月のナビスコ杯予選以来、スタジアムまでレッズの試合を応援に行っていなかったが、次々節には駒場スタジアムへ、そして11月4日のナビスコ杯決勝は国立競技場へ、久々に臨むことにした。
ハナちゃんは、レッズ不遇の時代に僕の傍にいた。1999年、ハナちゃんが初めて姿を現した晩秋は、レッズがJ2降格へ転げ落ちていった時だった。翌年、J2なら優勝できるという甘い考えは打ち砕かれ、昇格に最後の最後まで苦労した。その間、ハナちゃんは僕に懐いていった。2001年、レッズはJ1に踏みとどまることだけで精一杯だった。ハナちゃんは、僕と一緒に暮らすようになった。そんな時代だからこそ、想い出も深みを増す。
そしてレッズがこれからという前に、ハナちゃんは僕の前から去っていった。テレビ中継で観戦しているとき、ハナちゃんは餌を要求したり、外へ出せと騒いだりと、邪魔ばかりしてくれた。ハナちゃんは、レッズには関心がないようだった。それでも僕は、レッズの優勝をハナちゃんと一緒に喜びたかった。それは、あと一歩のところにある。しかし、ハナちゃんは遠くへ行ってしまった。
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