1年前のこの時期、アフガニスタンでの戦争が始まり、僕は地元で反戦集会などに参加していた。そうした行動への参加は10年ぶりぐらいだったので、地域の市民運動に関わる人たちと話が弾み、ハナちゃんのことを忘れて朝まで話し込んでいたことがあった。
早朝、家に帰ってみるとハナちゃんがいない。押入れの奥に隠れているのかと思ったが、その気配もない。よくよく調べてみると、開けておいたロフトの窓の周りに足跡がついている。この窓は手前側へ僅かに開くタイプで、なおかつ壁の高い位置にあるので、ハナちゃんはここからは出られないだろうと思い開けておいた。しかし、隣のエアコンを足場にして、見事に脱出してしまったのだった。
このままハナちゃんがいなくなってしまうのでは、という心配が脳裏をかすめたが、1時間もしないうちに、開けておいたドアの隙間から何食わぬ顔でハナちゃんは帰ってきた。ロフトの窓は、構造的に出ることはできでも入ることが猫には不可能だった。ここから外へ出ると、僕が帰ってくるまでは家に入れない。ハナちゃんは、その教訓をしっかり身につけただろう、と僕は思った。しかし翌週の授業の日、家に帰ってきてドアの鍵を開けようとすると、物陰からハナちゃんがこっそり顔を出して、「ニャア」と小さく鳴きながらドアが開くのを待っていた。
その後、出かけるときはロフトの窓を閉めざるを得なくなった。泥棒が入ってくる心配はなく、空気の入れ替えにはちょうど良い窓だったのだが、ハナちゃんの抜け道になってしまった以上、仕方がない。ハナちゃんは時々、エアコンの上に飛び乗って、悔しそうにこの窓を引っ掻いていた。
ハナちゃんが死んだときは、この窓から出て行ったのではなかった。「出かける」と言ってきたので僕が開けたドアの、隙間をすり抜けていった。お互い安心して、帰ってくること、帰ってこられることを信じていた。
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