うるう年を除くと1年は365日なので、7で割ると52 余り1になる。世界はなぜか旧約聖書の天地創造という戯言、「神は6日で世界を創造し1日休んだ」を基準にして、7日間を1週間という単位にしているが、地球が太陽を周るという自然現象は、7では割り切れなかったわけだ。このため、翌年は曜日が1日ずれる。前置きが長くなったが、昨年の9月11日は火曜日だったという次第。
火曜日だったので、もちろん講義のため訓練校に出勤し、夕方6時ごろ家に帰ってきた。あの日の夕方はちょうど台風明け。西の空には風でねじれあがった雲が夕陽で赤く照らされ、まるで燃え上がる炎か天に上る龍といったような、荘厳な光景を描き出していた。駅からの帰り道、空を眺めながら「これを写真にとっておきたいな」とも思ったが、家で待つハナちゃんのほうが大事だったので、買い物をしてさっさと帰宅した。
火曜の夜の常で、講義で渇いた喉をビールで潤し、カニかまをハナちゃんと一緒につまみながら、いつの間にか眠ってしまった。ふと目を覚ますと、夜の10時ぐらいになっていた。ハナちゃんも眠っていたようだ。何気なくテレビをつけてみると、ニューヨークが炎上していた。僕は興奮を抑えられなかったが、ハナちゃんはそんなことは意に介さず、ゴロゴロしている。僕はハナちゃんを抱き上げて、アメリカの崩壊を見せてあげたが、ハナちゃんはきょとんとしていた。
1年前のあの日以降、世界はまた嫌な方向に向きを変えた。世界最大のならず者国家、「悪の中枢」ともいうべきアメリカ国家は、ますます国益を声高に主張し、イラクに対する戦争を始めたがっている。当分の間、世界はアメリカの国家テロリズムに脅えながら、生きていかなければならない。
しかし、いくらアメリカが軍事的に強大だとしても、世界に、そして僕にほんとうの衝撃など与えはしない。9月11日の事件は、人類史的にはちっぽけなエピソードだ。僕にとって世界が一変してしまったのは、9月11日などではなく、ハナちゃんが死んでしまった2002年5月21日だった。