そして、ハナちゃんが死んでしまってから2ヶ月が過ぎた。ハナちゃんがいなくなってから、僕の生活からいくつかのものが欠けていった。反対に、新たに満たされたものもある。
ハナちゃんが使っていた食器と、ハナちゃんの専用クッションに掛けていたバンダナは、形見の品として、骨壷と一緒にハナちゃんが好きだったテレビの上に鎮座している。これらは、物質的に存在を続けてはいるものの、どこかで空虚さを漂わす。また、もう一枚のバンダナとクッションそのものは、ハナちゃんの亡骸とともに灰になった。ハナちゃんがボロボロにしたダンボールの爪とぎ器やトイレの砂は、捨ててしまった。
ハナちゃんが飽きてしまった遊び道具は、新入りの小太郎が使っている。トイレそのものも、砂を入れ替えて小太郎のものになった。ハナちゃんを入れるのに苦労したキャリーバッグに運ばれて、小太郎は家へやって来た。ハナちゃんの毛皮の手入れに使ったブラシや櫛も、小太郎のために使うだろう。そう、満たされたものは、そして継承されているものは、小太郎という、小さな子猫の存在だ。
ハナちゃんがその席を譲ったことによって、新しい猫の、将来への扉が開かれた。僕にとっても、たったの2ヶ月で、心の欠落を補うことができた。これは、猫を相手にしているからこそ、できるのだ。人間の存在が失われたときは、こうも短期間に、後継者が生まれるものではない。
しかし、猫だって道具のように簡単に交換できるわけではない。小太郎の存在は、ハナちゃんが占めている座に取って代わるものではない。そして、小太郎とハナちゃんの間に優劣があるわけでもない。肉親を除き、僕の今も続いている最も旧い人間との付き合いは、23年だ。ハナちゃんとは3年にも満たなかったが、それは肉親を含むどんな人間との付き合いよりも、僕には貴重な時間だった。さすがに、もう涙は乾いてしまったが、瞼の奥では今でもハナちゃんの姿が行き交う。これから小太郎が占めるであろう座とは別に、ハナちゃんは僕が死ぬまで、傍らに寄り添ってくれるだろう。