やっとFIFAワールドカップが終わった。決勝トーナメントに入ってから何試合かをテレビで観たが、90分もしくはそれ以上の時間をかけて、画面と付き合う気にはなれなかった。試合結果だけが後で分かれば、それで十分だった。ドイツはブラジルに0-2で負けたのか、それはちょっと残念だな――程度の感じだ。
もし、今回のドイツ代表に浦和レッズで活躍したウーベ・バインが入っていたなら、そして彼が出場していたなら、きっとドイツを応援していただろう。しかし、彼はとっくに引退している。もし、あの熱血漢ゼリコ・ペトロヴィッチが、ユーゴスラヴィア代表とともに出場していたなら、きっとユーゴを応援していただろう。しかしそれも、4年前の話だ。
サッカーは好きだが、それは地元の浦和レッズがいてこそだ。それ以外の試合は、たとえ世界最高レベルのプレーであっても、僕には見劣りして映る。華麗なプレー、熱い闘志に対して、僕は人並みに感動するけれど、それは浦和レッズの選手が演じている場合に限られる。日の丸を掲げ君が代を歌う日本代表チームには、冷めた気持ちしか湧かない。僕が心から自分たちのクラブだと思えるチームが戦っている時こそ、つまり浦和レッズの試合の時こそ、それがどんなにレベルの低い内容(たまに我らがレッズはそういう試合をする)であっても、僕の心を震わせる何かを感じ取ることができる。思い入れのないものを応援する空虚さに、僕はついていけない。
最近よく家の扉を引っ掻いて、猫の力太郎が遊びにやってくる。力太郎も可愛い猫なのだが、お互い、どこかよそよそしさがある。以前、僕が力太郎を差し置いて、ハナちゃんを家の猫に迎え入れたことが引っかかっているのだろうか。そして少しだけ家で甘えている力太郎と遊んでいても、僕はやはりハナちゃんのことを思い出してしまう。死んでしまったから、代わりの猫を見つけて心に空いた穴を埋める――なんてことは、僕には無理な話だったようだ。力太郎との距離感の中に、僕はハナちゃんの面影を追い求めている。それは結局、寂しさを増幅するだけなのだが。