昨日見たのは、例によって不思議な夢だった。ハナちゃんではなく、ハナちゃんの妹が現れた。もちろん、そんな猫は現実には存在しないか、いたとしても僕は知らない。しかし夢の中では、死んだハナちゃんの代わりに、妹が現れた。ハナちゃんと同じ白黒模様だが、なぜか、やや長毛種だった。ハナちゃんの代わりに使わされたこの猫を、僕は飼おうと思った。そして、この猫が現れた場所は、時間を超越し、川口に住んでいた頃の社宅の縁側だった。鳴き声に木の雨戸を開けて、僕はハナちゃんの妹を招き入れた。
冗談のような場面設定だが、川口の家で思い出したことがある。当時、小学2年生ぐらいだったと思う。友だち数人と一緒に、子猫をたしか2匹、拾った。そして、猫を飼っても大丈夫だというひとりの友だちに、みんなはその子猫を預けた。しかし翌日、学校で彼は親が許してくれなかったと言った。僕は、いやな予感がした。放課後、みんなで彼が子猫を隠した場所に出かけた。たぶん、冬だったと思う。子猫たちは凍えてしまったのか、2匹とも死んでいた。
子猫の死はショックだったけれど、子供だった僕らは、即物的な反応をした。可哀想だから、お墓を作って埋めてあげよう、と。そして、僕の家の前にあった元郷第六公園の花壇の中にお墓を作り、子猫たちを弔った。僕らには、猫の存在よりも、そうした行為が新鮮だったし、秘密めいていた。この秘密を長続きさせるため、「キャットクラブ」という秘密グループを結成した。その後のキャットクラブは、猫を飼うこともなく、宇宙人の足跡とかの研究をして、いつのまにか消滅してしまったと思う。
多感といわれる子供時代の方が、「死」には鈍感だった。それが、子供の邪念のなさかもしれないし、一方で子供は残酷といわれる所以だろう。猫も、子供は嫌いらしい。その後もいくどか猫と関わる機会はあったけれど、たいてい1日ぐらいで出会いは終わった。元郷第六公園も往時の姿をとどめず、お墓とともに花壇はなくなってしまった。
僕がほんとうに猫と心を通わせられたのは、それから30年近くを経過した、ハナちゃんとの出会いのときだった。