ハナちゃんの足跡

~最愛の友だちを記念して~


さようなら、ハナちゃん ハナちゃんの在りし日の姿 小太郎と小次郎 過去の日誌
ハナちゃん 小太郎 小次郎

2002年6月21日(金)

「4週間」と「1ヶ月」は別の日にやってくる。今週の火曜日、ハナちゃんが死んでからちょうど4週間が経った。「火曜日」は学校の授業のため、事故があったと思われる時間帯に、僕は起床して身支度をしている。そして、僕がハナちゃんの亡骸を抱えていた時刻に、事故現場を横目に見て出勤する。この生活パターンが変わらない限り、「火曜日」の朝は、悲しい想いを僕に抱かせ続けるだろう。

そして「21日」。毎月この日付が訪れるたびに、同じことを僕は思い出すだろう。「火曜日」は、教壇に立ちさえすれば、講義に没頭することができる。「21日」は、今日のように自宅で仕事をしていると、あの日のすべてを思い出してしまう。菜種梅雨の明けた五月晴れの朝。道端に見つけた白黒の毛皮。葬儀場までの、長い道のり。火葬が終わるまでの、殺風景な待合室。小さな骨壷を手に提げて、呆然と眺めたホームの人影。駅から犬猫病院に立ち寄り家まで歩いた、よく知った風景に降り注ぐ眩しい陽射し。そして、ハナちゃんのいない部屋の扉を、初めて開けたとき。

すべては半日のうちに片付いてしまい、僕はその後、何をしていただろうか。翌日からは、このサイト作りに没頭していた。それまでのことは、あまりよく覚えていない。酒を飲んでさっさと寝てしまったような気もする。あの日の後半は、もうどうでもいいことだ。しかし前半に起きたことは、「21日」がやってくるたびに、必ず振り返ることになるだろう。

人間は前向きに生きなければならない、のだろう。人間の寿命が80年程度あるとするなら、僕にはまだ、その半分が残っている。世間一般の常識では、過去に浸って生きるには早過ぎる。がむしゃらに、前に突き進もうか? しかし、そんな生き方ができるほど、僕は厚顔無恥ではない。これまでの39年間のうち、高校時代の2年間と、ハナちゃんと過ごした2年間、これだけでも僕は充分、人生の素晴らしさを味わった。同じものを貪欲に求めるには、「日本人」という環境は恵まれすぎている。うんざりするほど、恵まれすぎている。

僕には、振り返るべき美しい過去がある。ほんの少し幸せな未来がそれに加われば、もう他に求めるものはない。

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