巷はワールドカップの喧騒に包まれているが、ちょうど4年前のフランス大会の頃を思い出した。やはり今は崩壊してしまったユーゴスラヴィア連邦が出場し、かのゼリコ・ペトロヴィッチ選手が活躍していた。当時の日本代表は3連敗したがゆえに散々叩かれていたが、それをよそに僕はユーゴ連邦とペトロを応援していた。
当時、ちょうど「フィギュアトリッパー」という1回きりで終わった雑誌を、知り合いの編集者とともに僕はCorelDRAW 7で制作していた。あれが、もう4年前とは。この4年間は、ずいぶん時間の流れが遅かったような気がする。
4年前、僕は他の猫との別れを経験していた。非常に端正な顔立ちをした猫で、僕は「世界一美しい猫」と呼んでいた。しかし、フランス大会の前年、飼い主が引っ越してしまったため、もう会うことができなくなった。96年、僕が友人の仕事を手伝いに1週間ほど海外へ出向き、家に帰ってきたときに僕を出迎えてくれたのはその猫だった。家に遊びに来るだけの猫だったけれど、別れはやはり辛かった。2年ほどの付き合いだった。
そして98年。僕はその猫の想い出を語っていた。しかし、まだハナちゃんは生まれてさえいないのだ。なんて、不思議な感覚だろう。あの世界一可愛い猫、ハナちゃんに出会うのは、その1年以上後のことだ。
98年、日本代表は弱かったけれど、浦和レッズはJリーグの優勝候補だった。その翌年、J2に降格するとは誰も予想だにしていなかった。僕はCATVで青春ドラマ「飛び出せ! 青春」を観て、漠然と教師になりたいと思っていた。それが翌々年、職業訓練校の講師という形で現実となった。講師として、多数の生徒と接することで、時間の流れが濃密になったともいえる。
しかし、この4年間のうち後半の2年間をもっとも充実させたのは、ハナちゃんとの出会いであり、ハナちゃんとの生活だった。4年前を振り返ると、なぜか10年も前に感じるのは、ハナちゃんが僕に与えてくれた、あの何かが成せる技なのだ。そのあとの空白は虚しい。明日で、あの事故から4週間。