先週、そして昨日、つまり毎週火曜日は、僕が教壇に立つ日。その学校の生徒と講師の方のところで、2件ほど子猫が生まれたそうだ。僕のところにも、子猫の里親になってはどうかという話が来た。生まれてくる子猫たち。その一方で、死んでしまう猫。
晩春は、猫の出産の季節なのかもしれない。太宰治の短編「ダスゲマイネ」に、「はらみ猫、葉桜、花吹雪、毛虫、そんな風物のかもし出す晩春のぬくぬくした爛熟の雰囲気」というくだりがあった。ハナちゃんが死んだ頃、5月の中旬は、そんな季節だったのかもしれない。新しい生命が誕生する季節。
僕は、僕が知らないハナちゃんの姿に思いを馳せる。子猫のハナちゃんが初めて僕の前に姿を現したのは、1999年10月26日のことだった。やっと家に入ってくるようになった翌年の3月、病院に連れて行ったときに、ハナちゃんは1歳ぐらいと言われた。するとハナちゃんは、1999年の春ごろ生まれたことになる。いったいどこで、どんな母猫から生まれたのだろう。
そして、もっと小さなハナちゃんは、どんな猫だったのだろう。子猫のまま、捨てられたのか。野良猫の母に育てられ、巣立ちして放浪し、僕のところへたどり着いたのか? 獣医さんによれば、人間への警戒心は母猫に教わるそうだ。最後まで人間嫌いだったハナちゃんは、やはり野良猫の子供として生まれてきたのだろう。
同じ1999年に、実家のベランダの下で、一匹の母猫が子育てをしていた。子猫たちが育つまで、母猫は懸命に愛情を注いでいた。ハナちゃんにも、同じような光景があったに違いない。そのあとで、人間や他の猫にびくびくしながらゴミ捨て場を徘徊していたハナちゃん。子猫も、一人前の大人になるのは大変だ。そこでもっと経験をつめば、車にはねられることもなかったのだろうか? それとも、安心して眠れる住処を見つけることができたこの二年間で、すべては相殺されるだろうか?