数日前、ここ浦和で猫の虐待事件が起きたそうだ。ニュースでは「さいたま市」といっていたので、大宮だろうと思っていたが、浦和の白鍬だった。以前、僕の実家はその方面にあった。嫌なニュース。浦和はすばらしい街だが、やはり住んでいる人間が、すべて善良とは限らない。
国でいえば、もっとも善良そうな人たちが住んでいるのは、ドイツだろうか。最近のニュースで、ドイツの憲法に動物の権利が謳われたことを報じていた。それはそれで、すばらしいことだろう。ハナちゃんをひき殺し、道端に捨てていってしまっても、それで済んでしまう国よりは、それで良心に何の咎めも感じない人間が住んでいる国よりは、きっと猫も住みやすいだろう。
しかしそんなドイツも、トルコやアジア系移民には厳しい国だといわれている。そうした人たちからすれば、動物の権利より、今を生きることへの権利の方が切実なはずだ。ユーゴスラヴィア崩壊と内戦の引き鉄に指をかけたのは、ドイツだった。人類の不幸をよそに、動物愛護だけを語ることは僕にはできそうにない。恵まれた人たちの慈善という偽善に終わってしまっては、動物の権利は、より虐げられた人たちの反感を買うだけになってしまう。
動物の権利。アフガニスタンでもパレスチナでも、世界中の誰もが心に余裕を持ってそれを語れるようになったとき、動物たちも今よりは幸せに生きられるようになるかもしれない。
かつて、人間に対して、人類社会に対して、そんな理想を激しく燃やしたことが僕にはあった。結局それは、灰になってしまった。ハナちゃんの遺骨も、灰になって小さな骨壷に納まっている。僕はその骨壷に、毎日挨拶をしている。