トーチウッドとドクター・フーの比較的考察

ドクター・フー

キャプテンとドクター

その本編とは、これまたBBCの「ドクター・フー」(Doctor Who)というSFドラマです。こちらは、なんと1960年代から放映されていた老舗番組なのですが、20世紀末に一旦終了し、21世紀になって新シリーズが制作され、現在も続いています。

主人公の「ドクター」は、惑星ガリフレイ出身のタイムロード。そのドクターが、宇宙船兼タイムマシーンの「ターディス」で、宇宙や地球の様々な時代を旅し、コンパニオンと呼ばれる同乗者(金髪の女性の場合が多いようです)とともに冒険を繰り広げる、といった内容です。こちらは、子供から大人まで楽しめるような、番組作りがされています。

キャプテンは、その話の一部で、時間を股にかけた詐欺師として登場するそうです(残念ながら、私はまだそのエピソードを見ていません)。しかし、ドクターの仲間になり、いくつかの話でコンパニオンとして活躍し、人気を博しました。そして、あるエイリアンとの闘いの中で、不死となり、ドクターには置いていかれてしまいます。そこで彼は19世紀の地球に渡り、21世紀までドクターとの再会を夢見て、トーチウッドで活動することになったのです。そもそも、トーチウッドは、ビクトリア女王がドクターの存在を警戒して、エイリアンから技術を強奪することを目的に作った組織だそうです。19世紀でドクターの話を喧伝していたキャプテンは、トーチウッドに捕まり、そこで働かされることになったものの、現代では自ら組織を統率するようになりました。

シーズン3最終話

それが、キャプテンのバックストーリーなのですが、トーチウッド・シーズン1と2の間で、キャプテンが一時、行方不明になります。実は、ここでキャプテンはドクターと再会し、3話に渡ってドクター・フーの、これまた感動的なストーリーが展開されます(新ドクター・フー シーズン3)。なお、キャプテンの初回登場時(新ドクター・フー シーズン1)、ドクターはクリストファー・エクルストン(Christopher Eccleston)という俳優が演じていましたが、キャプテンが再登場したドクター・フーシーズン2では、デヴィッド・テナント(David Tennant)に交代しています。もちろん、話の中ではドクターが再生し、新しい姿になったとされています。

カーディフの時空の裂け目に、燃料補給に立ち寄ったターディスを見つけたキャプテンは、全速力で駆け出し、ターディスに飛びつきます。そのショックで、ドクター、コンパニオンのマーサ・ジョーンズ(Martha Jones、彼女は黒髪)、そしてキャプテンは500兆年の未来へ飛ばされてしまいます。この未来での再会シーンでも、ドクターの姿が変わったことが、キャプテンとの軽い会話の中で、説明されていたりします。私にとっては、初めて観たドクターがD・テナント、コンパニオンがマーサ(俳優はフリーマ・アジマン/Freema Agyeman)だったので、この二人こそがドクター・フーの世界を表しています。ちなみに、マーサは、トーチウッド シーズン2にもゲスト出演しています。その時は、キャプテンが「マーサ・ジョーンズ!」と大袈裟に紹介していたので、イギリスで有名な俳優かミュージシャンなのかと思っていたのですが、ドクター・フーとの絡み合った演出だったことに、後で気づきました。

宿敵・マスター

さて、話を元に戻すと、すでに宇宙は凍りつき、星の輝きもほとんど失せてしまった世界では、それでも人類は生き延び、宇宙の彼方、「ユートピア」から送られてくる信号を唯一の希望として、そこへ飛び立つロケットを開発中でした。その責任者が、ヤナ(Yana)博士。ドクターの手助けで、ロケットは完成し、人類はユートピアへ旅立つのですが、ヤナ博士は、実は姿を変えたもう一人のタイムロード、ドクターの宿敵・マスター(The Master)でした。

自分の正体に気付いた(人間に化けている間、タイムロードとしての記憶は失われるという設定です)マスターは、ターディスを奪い、現代のイギリスへ逃亡します。ちなみに、マスターは若返るのですが、そのマスター役は、「時空刑事1973 Life on Mars」で主人公のサム・タイラー(Sam Tyler)を演じた、ジョン・シム(John Simm)です。

そして、マスターは衛星回線「アークエンジェル」を利用し、携帯電話を介して人々の心を操り、総選挙に勝利してイギリスの首相となってしまいました。彼は、地球外生命体「トクラフェイン」との接触を公表し、その歴史的記念日に、しゃしゃり出てきたアメリカ大統領を殺害したうえで、自らが地球の支配者となることを宣言します。さらにトクラフェインに人類の1割を抹殺させ、全地球に恐怖政治を敷きます。そして、自らの幼少時に宇宙の深淵から耳にした「ドラムの音」に駆り立てられ、全宇宙に対する戦争を企てます。

「君を許す」

マスターの野望を阻止しようとしたドクターは、逆に、マスターによって肉体を実年齢(903歳)まで老化させられ、マスターの手に落ちます。キャプテンも、マスターによって捕えられ、殺されたり生き返ったりの繰り返しです。唯一、マーサだけが脱出して、奴隷化された全世界の人々の間を遍歴し、マスターを倒すためのドクターの秘密の指示を伝え歩きます。1年後、捕まったマーサを、ドクターやキャプテンの目の前で処刑し、最後の希望すら打ち砕こうとマスターは目論むのですが、当然、逆にマスターが倒されることになるのです。

ドクターの秘密の指示は、「マスターを殺す方法を見つけること」と思われていました。しかし、ドクターは、そもそも「殺す」という残忍な発想は持っていません。ドクターの信念は、その名が表すとおり、「助ける」ことなのです。マーサが人々に伝えたのは、たった一つの言葉だけです。そして、マーサが、キャプテンが、全世界の人々がその言葉を心に念じたとき、マスターの世界支配の道具であったアークエンジェルを介して、テレパシーで一体化した全人類の思念により、ドクターが復活します。全人類の思念エネルギーに守られたドクターに、最早マスターは太刀打ちできません。怯えるマスターに、ドクターは、それまでマスターが聞くことを拒んできた、ある言葉を語りかけます。「君を許す」と。

非常識と常識の不条理

このエピソードを見たとき、それまで“陰鬱だがより現実的な”世界を描いていたトーチウッドよりも、ドクター・フーの空想的かもしれないけれど理想主義的な世界のほうが、私にはより大切なような気がしてきました。元々、私はトーチウッドから“この世界”に入ったので、トーチウッドが主であり、ドクター・フーは従でした。ドクター・フーを観たのは、キャプテンが出ていると耳にしたからです。それが、逆転してしまったのです。

たとえば、トーチウッドでは、仲間のほとんどが世界を救うために死んでいき、特にシーズン3最終回では、全人類を救うために、一人の少年(キャプテンの孫)を犠牲にします。話の背景はSFという作り事ですが、言わば、人間社会の現実を冷徹に反映しているのが、トーチウッドの世界です。一方で、ドクター・フーの世界では、ドクターの力及ばずに犠牲になっていく人々はいるものの、最後は優しさと希望によって、何かは救われるのです。

確かに、ドクター・フーでは、同性愛がクローズアップされることもないし、コンパニオンの多くは金髪の女性というステレオタイプな設定など、老若男女に無害な常識的世界が背景にあることは否めません。そんな、常識の体制が打ち破られているトーチウッドのほうが、痛快でした。しかし、体制の打破も、最後の結末では、「非情の世界」という現実に引き戻されてしまいます。

それに対し、ドクター・フーの結末は、「」です。ブルーハーツ的表現をすれば、「人にやさしく」です。一般には、「そんな甘っちょろい考えでは、世の中渡っては行けない」と揶揄される、理想論です。根本の政治信条は異なるので、支持はしていませんが、民主党の鳩山元首相も、「友愛」という言葉を政界という非情の世界に持ち込もうとしましたが、結局、政権交代を支持した国民からも見放されてしまいました。その後に続いたものは、愛の欠けらもない、従来どおりの連中です。

トーチウッドのような、常識的世界に楔を打ち込むようなスタイルが、結局のところは訳知り顔の常識的現実に引き戻されてしまう、そうした不条理こそが、この世界の限界であり、間違いなのだと、私は思います。トーチウッドの背景描写と、ドクター・フーの思想の両立。それは、キャプテン・ジャック・ハークネスという人物が、双方のドラマに登場するだけでは、実現され得ません。さらには、テレビ・ドラマという架空世界ではなく、現実社会の中で実現することも、また遠い夢のようです。しかし、そこで“現実”を受け入れてしまうなら、自分も訳知り顔の嘲笑を理想家に向けてしまうなら、それは現状への敗北を積み重ねることにしかなりません。ですから私は、マーサが人々に伝えたドクターの指示を、心に持ち続けたいと思います。

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